帰国生の眼
昭和40年代から、桐朋女子中・高等学校では、帰国生の人たちに海外で経験したことについて作文を書いてもらってきました。これは、海外生活を知らない生徒達にとって興味深い内容のものであり、また、海外から帰国した新しい仲間を知るためのよい材料となってきました。毎年何人かの作文は学校の機関誌『桐朋教育』にも掲載されて、多くの生徒や保護者に読まれています。また、これらの作文をもとに、ホームルームの時間などで、「世界を知ろう」「異文化コミュニケーションについて」といった内容で、報告会や話し合いがなされてきました。書かれた作文は製本され、『帰国生の眼』と題して図書館に並んでいます。40年になろうとする作文の歴史は、帰国生の眼を通して、世界と日本のつながりの歴史を見せてくれます。
 
『桐朋教育 第1号』(昭和46年度)より
   ロシア学校に学んで        高校二年 中川恵理
 私は千九百六十九年九月から七十年六月までロシア学校、いわゆる現地の学校に学びました。ロシア語を覚えるとか、話せるようになるにはこの短い期間では中途半端であり、困難なことであると思います。         (中略)
 さて週に一度クラス会のようなものがありましたが、これは国の形態から言っても、私たちが考えているようないわゆる日本の学校で行われるクラス会とは根本から性質が異なっているようでした。学校に学習をしに来る他に参加しなくてはならない意義のあるのは、コムソモールと呼ばれる青年共産党の集会です。
 コムソモールというのはピオネールと呼ばれる少年少女を統合する大衆的な、共産主義組織(九〜十三歳)を経て、共産党員になるまでの一四〜二十八歳の青年のための共産主義組織です。しかし誰もが党員になれるわけではありません。だからピオネールはコムソモールに、コムソモールはその団長に厳しい指導を受けています。(後略)

 ひとりひとりの体験が生きています。  製本されて図書館に並んでいる『帰国生の眼』